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菩薩の行為とは

菩薩の行為とは

菩薩に相応しい行いとは何でしょうか。
菩薩行とは?
チベット仏教サキャ派のギャルセー・トクメー・サンポという僧侶に、
『三十七の菩薩の実践』というものがあります。
ここにその精髄があります。
素晴らしいものですから、じっくりと読んでみてください。

1~7 前行 仏法の道に入る
8 正行 小士の道
9 正行 中士の道
10 正行 上士の道 発菩提心
11~21 世俗の菩提心
22~24 勝義の菩提心
25~30 六波羅蜜
31~36 顕教における修行
37 回向

『三十七の菩薩の実践』

観自在菩薩に帰依いたします

すべての現象は去ることも来ることもないと見て
さまよう者たちの利益のためだけに努力する
至高の師であり救世者である観自在菩薩に
身口意の三門を通して常に恭しく礼拝いたします

世俗の幸福と勝義の幸福の源である完全に悟った諸々の仏陀は
神聖なる仏法を自ら完成することにより仏陀になりました
それは彼らが仏法の実践は何かを知ることによって成就しましたから
私はその菩薩の実践について述べることといたします

   ※※※※※※※※※※

1.
大きな船のような有暇具足をそなえた
有意義で得がたい生を享けた今生で
自他ともに輪廻の海から救われるために
昼夜を問わずに怠けずに聞・思・修すること
それが菩薩の実践である

有暇…修行の前提となる自由。
 地獄・餓鬼・畜生・天・野蛮人・邪見の人・ブッダ不在の時・言語能力がないという境涯に生まれないこと。
具足…仏教修行を支える優れた条件。
 人間に生まれる・感覚器官が円満・国の中央に生まれる・悪業に染まらないでいる・仏教に信心を抱いている、
 という自己に関わる五つの条件と、
 ブッダが現前する・教えが説かれている・教えが存続している・その道に入った・仏弟子となった、
 という外的な五つの条件。

2.
身内に対しては愛情を水のように注ぎ
敵に対しては憎しみを炎のように燃やす
善悪の見境がつかない愚かさは真っ暗な闇
故郷を捨てること、それが菩薩の実践である

3.
悪い故郷を捨て去れば煩悩はしだいに消え去っていく
怠けず励む者の功徳はおのずと増えていく
知性が澄めば教えに信が生ずる
「静謐な場所」に安らぐ心、それが菩薩の実践である

4.
長い間親しくしている友と別れ
努力して得た財産を後に残し
「肉体」という宿を「心」という客が去っていく
今生を捨てること、それが菩薩の実践である

5.
交われば貪・瞋・癡の三毒が増大し、
聞・思・修の行が疎かになり
慈悲がなくなりはじめる
そのような悪い友を捨てること、それが菩薩の実践である

6.
その人に従えば欠点がなくなって
功徳が上弦の月のように満ちてくる
そのような善友を自分自身の身体よりも大切にする
それが菩薩の実践である

7.三宝帰依
自らも輪廻の牢獄に囚われている
世俗の神にいったい誰を救うことができるのか
それゆえ、救いを求めても欺くことのない
仏・法・僧の三宝に帰依をする
それが菩薩の実践である

8.十不善業を離れる
「極めて耐えがたい悪趣の苦しみは罪業の結果である」
と釈尊は説かれた
そのため命を落とそうとも罪業をおこなわない
それが菩薩の実践である

9.
欲界・色界・無色界の三界の幸せは草葉の露のごとく
瞬時に消え去るものである
いかなるときも変わらない解脱の最高の境地を目標とする
それが菩薩の実践である

10.菩提心の生起
無始以来より私を愛してくれた母たちが、
苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか
それゆえ、限りなき衆生を救うために菩提心を生起させる
それが菩薩の実践である

11.
あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ
悟りは他者のためを思うことより生ずる
それゆえ、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する
これが菩薩の実践である

12.
何者かが大きな欲望で私の財産を
すべて奪おうとして盗みに入ったとしても
身体と財産と三世の善の集積のすべてを差し出す
それが菩薩の実践である

13.
自らの過ちが認められないにもかかわらず
何者かが私を斬首刑に陥れたとしても
いたわりの心でその罪を自ら被る
それが菩薩の実践である

14.
ある者が私に対してさまざまな非難中傷を
三千大千世界に遍くふれ回ったとしても
慈しみの心で繰り返しその者の功徳を賞賛する
それが菩薩の実践である

15.
大勢の者が集まるなかである者が
私の過失を掘り起こし罵声を浴びせかけても
その者を善知識たる師と思って敬意を払う
それが菩薩の実践である

16.
わが子のように大切に育てた者が
私を敵のように見なしたとしても
病気のわが子に接する母のようにより一層の愛情を注ぐ
それが菩薩の実践である

17.
私と同じくらいか、それより劣る者が
慢心を起こして私を軽視したとしても
師のように尊敬し自らの頭頂に戴く
それが菩薩の実践である

18.
生活に困窮し、常に人より軽蔑され
ひどい病苦や悪霊に憑かれても
それでも一切衆生の罪業と苦を受けて疲れをしらない
それが菩薩の実践である

19.
賞賛され、大勢の者が頭を垂れ、
毘沙門天の財宝と同じものを手にしても
世間の豊かさには本質がないと見て驕らない
それが菩薩の実践である

20.
自身の中にある怒りという敵を調伏しないなら
外の敵を倒しても憎しみはますます増大するばかり
それゆえ、慈悲という軍隊で自身の心を征服する
それが菩薩の実践である

21.
欲望の特性というのは塩水を飲めば飲むほど乾くのと似て
どんなに満足してもさらに貪りたくなる
欲望が起きた対象はいかなるものでもすぐに捨てる
それが菩薩の実践である

22.空観により分別を捨てる
いかなる現象もそれは自身の心であり
心の本性は本来戯論より離れている
そのように理解して主客の諸相に気をとられてしまわない
それが菩薩の実践である

23.
意識がとらえる喜びの対象は
夏の盛りの虹の色彩のごとくに
美しい現象であっても実体のないものとして執着を捨てる
それが菩薩の実践である

24.苦に実体なし
さまざまな苦しみは、夢の中での息子の死のごとく
錯誤を実体あるものととらえることより生じた疲れ
それゆえ、たとえ逆境に遭遇したとしても錯誤と見なす
それが菩薩の実践である

25.布施
悟りを得るためにこの身さえ犠牲にする必要があるのなら
外界のものなどなおさらに
見返りや成果を期待せず布施を行ずる
それが菩薩の実践である

26.持戒
戒律を守らずして自利の完成はない
それでいて利他を成し遂げる願いをもっても笑われる
それゆえ、世俗の欲を放棄して戒律を遵守する
それが菩薩の実践である

27.忍辱
善という財を求める諸菩薩を
傷つけてしまう者もまた、尊い宝も同然である
それゆえ、あらゆる者に恨みをもたず忍耐を修習する
それが菩薩の実践である

28.精進
自利のみ得ようとする声聞、独覚も
頭に移った火を消そうと努力するのを見るならば
すべて衆生のためになる功徳の源泉となる精進に励む
それが菩薩の実践である

29.禅定
「止」を伴ったすぐれた「観」が
煩悩を克服するのをよく知って
四無色定を超越した禅定を修習する
それが菩薩の実践である

30.智慧
智慧のない五つの波羅蜜だけならば
完全なる悟りを得ることはできない
それゆえ、波羅蜜行を伴った三輪無分別智を修習する
それが菩薩の実践である

31.
自らの錯誤を自らが正さないなら
行者が非法をおこなうことになりかねない
それゆえ、常日頃より過ちを見抜いて捨てる
それが菩薩の実践である

32.
煩悩にかられて菩薩の方々の
過失を非難するならば、結局自らを衰退させるだけ
それゆえ、大乗者の過失をいっさい口にしない
それが菩薩の実践である

33.
富と名声にかられ争いとなり
聞・思・修の行が疎かになる
それゆえ、親友や支援者に対しての甘えを捨てること
それが菩薩の実践である

34.
汚い言葉が他者を動揺させ
菩薩行の在り方を弱めることになる
それゆえ、他者の心を害するような汚い言葉を捨てること
それが菩薩の実践である

35.
煩悩に慣れれば制することが難しくなる
念と正知という対治の刃を手に取り
欲望などの煩悩が起こるやいなや刈り取ってしまう
それが菩薩の実践である

36.
要約するなら、
どこでもどんなときも何をしようとも
自らの心の在りようがどんな状態であっても
常に念と正知を利用して利他を成し遂げようとする
それが菩薩の実践である

37.廻向
以上のように精進して、成し遂げられた諸善を
限りなき衆生の苦しみを取り除くため
三輪無分別智により、
悟りを得るために廻向すること
それが菩薩の実践である

   ※※※※※※※※※※

経とタントラと論書に書かれている諸賢たちの言葉と内容に従って
菩薩道で訓練したいと望む者たちの目的のために
私は菩薩の実践の三十七項目をまとめました

私の知性は不十分で教育は乏しく
諸学者を喜ばせるような詩的な韻律を踏んでないかもしれませんが
経典と賢者たちの言葉に頼ったので
これらの菩薩の実践は間違っているとは思いません
それでも、私自身のように機智に疎いものには
菩薩行の偉大な波の深さを計り知ることは困難なので
矛盾や関連のなさなどの私の過失の集積になってしまいました
賢者方が忍耐され、お許しくださいますように

これにより生じた善により
すべての衆生が至高の深甚なる勝義の菩提心と世俗の菩提心を起こして
輪廻と涅槃のいずれにも決してとどまらずに
救世者たる観自在菩薩と等しい境地に至れますよう

これはグルチュー地方のリンチェン洞穴において
比丘で学僧でもあるトクメー・サンポにより
自分自身と他者の利益のために記されたものです

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