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今から約2500年の昔、仏教の祖である釈尊(お釈迦様)はインド・ブッダガヤーの地で覚者となられ、「耳ある者に甘露の門は開かれたり」と仰せになり、伝道の生涯を開始されました。

 上部に掲げている言葉、「耳ある者に」…という言葉は大切です。「甘露」とは、「さとり・涅槃」あるいは「救い」と同じ意味だと今はそのように考えてくださって結構ですが、それはただ日々を漫然とやり過ごして生活しているうちに、いつの間にか自然に得られるようなものでは決してありません。
まずは仏教・仏の教えの真実であることに対して信を起こし、自ら積極的に智慧と慈悲を求めんとの菩提心を発揮して、世界に満ち満ちている仏の声を聞こうとする者だけが、さとりを得て真実の救いに至るのです。

しっかりと心の耳を澄ませば、仏の声は様々な場面で、色々な方法で、いつ如何なる時であれ、絶えず私たちに語りかけていることがわかるでしょう。あらゆる事象はすべて、如来に非ざるはないのです。

このように、いわゆる「言葉」以外にも、仏の説法は色々なあり方で世界に満ち満ちています。それを「心の耳で聴き取る」ことが出来れば、もちろん、それは最高に幸せなことです。

しかし…「声字なき仏音」を一心に信じ聴こうと試みても、深く分別心が染み着いている私たちにはそれが難しいのも事実ですから、普通の言葉による具体的な「仏の声」も必要です。本来は清浄である私たちの心を厚く覆う煩悩が、森羅万象の指し示す「声字なき仏音」を隠しているのです。

ですから、そのような無明に覆われた私たち凡夫の為に、仏は「言葉でも」縷々、その教えを説示してくださいます。それが、具体的な色々の「経典・仏典」なのです。

大乗仏教の精髄を示し、その理想と実践の在り方を示した『大乗起信論』という仏典には、「真如・真理というものは、有無相対・分別心の及ばない、言葉で示すことのできない境地である、
そのような言葉を超えた世界だけれども、それを敢えて言葉で示そう」…と書かれています。

お寺はそんな「言葉で表せない仏の声」そして「言葉で表された仏の声」を聴くための場所です。いつでも遠慮なくお越しいただき、「仏とともにある幸せ」をゆっくりと感じてください。